標高382.4m、早良平野の西にそびえる山である。
平野側から見るときれいな三角形をなす山容は、信仰の対象として、またランドマークとして古代から親しまれてきた。山裾には、弥生時代中期初頭の王墓として注目を集めた吉武高木遺跡(国指定史跡)に代表される豊かな埋蔵文化財が点在する。
山頂を上宮とする飯盛神社の社伝には神殿の建立を貞観年間とするが、飯盛山に対する信仰はさらにさかのぼる可能性が考えられる。山頂からは、永久二年(1114)銘の瓦経が出土しており、信仰の古さを裏付けている。東山麓の飯盛神社は、飯盛山全体を神域とし、中世・近世を通じて、早良郡一円に信仰圏を有した。
戦国期には山頂に飯盛山城が築かれた。現在も山頂部の主郭とそれを取り巻く郭が認められる。
中腹の中宮から山頂に至る登攀路は険しいが、山頂から早良平野・福岡平野を臨む眺望はすばらしい。
※福岡市の文化財より
飯盛山は、福岡市の西区にあり、標高は382メートルで、どこから見てもわかるようなご飯を盛ったようなお椀の形をした山です。
代表的な登山口は、飯盛神社付近となります。
飯盛神社と中宮に駐車場があり、中宮から分岐がとなっております。
中腹に中宮、山頂に上宮跡があり霊峰とされており、人気の登山スポットになります。
登山コース
飯盛神社(いいもりじんじゃ)は、
福岡県福岡市西区大字飯盛の飯盛山にある神社です。
御祭神は、人生すべて良縁を祈るむすびの神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)。
縁結び・夫婦円満に御功徳のある神社とされ、県外からはるばる訪れる参拝客も多くいます。
本殿横には樹齢350年の「梛(なぎ)」の御神木は、葉を持ち帰ると良縁が得られるとの伝えが。
梛は葉脈が縦一直線にはしるため、横には引き裂きにくく「夫婦円満」「男女の縁を結ぶ」といわれがあることに由来しています。
飯盛神社は旧早良郡7ヵ村の惣社で、誉田別命(ほむだわけのみこと)・伊弉再命(いざなぎのみこと)・玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祭神とする。飯盛山を御神体として、上宮、中宮、下宮の三所が祭られていたが、現在は下宮のみ残されている。その起源は不明であるが、上宮跡である山頂からは永久2年(1114)の銘を持つ瓦経が発見されており、古代にさかのぼる可能性は高い。
飯盛神社は早良郡の一宮であったと考えられ、鎌倉時代には73町余りの社領を持っていたが、戦国時代の頃になると衰退し、社領も18町余りに減少し、その信仰圏・宗教的勢力圏も飯盛神社を中心とした早良平野中央部分に限定されている。
本殿(市指定)は天明6年(1786)建立。南北朝時代の宋風の石造狛犬(県指定)、飯盛神社文書(市指定)が蔵される。また、その年の豊凶を占うかゆ占は県指定の無形民俗文化財。10月9日には市指定の無形民俗文化財である流鏑馬が行われる。
鎌倉時代、奈良西大寺の末寺で、この地方の真言律宗の中心として栄えました。
堂内には、仏師堪幸作の文殊菩薩騎獅像(市指定文化財)が安置されています。
智慧を司る文殊菩薩を祀ることから、堂内に湧く『智恵の水』には受験へのご利益があると信じられています。
創建が859年という1100年以上の歴史を誇る飯盛神社には、知恵をつかさどる文殊菩薩像が
安置され、そこに湧く自然水は“知恵の水”として、受験シーズンには多くの受験生が訪れます。
その名の通り知恵が上がる名水と言われ、
地元住民だけではなく、「学業祈願」のために 遠方から受験者の方が絶えず訪れています。
『知恵の米』は知恵の水で有名な飯盛山のふもとの水を使用し
上位等級(農産物検査1等・2等)のみ使用した自然のめぐみがたっぷり詰まった美味しいお米です
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『知恵の米』は最新の年度産のみ使用のお米です
網下米・くず米・古米・古古米は一切混ざっていません
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知恵の米の美味しさの秘密
日本の九州にある福岡県福岡市西区飯盛に